今回は一つのカルチャーショックを経て思ったことを書きます。
一般的には日本よりも欧米の方が個人主義だと思われているかと思います。私も実際そう思ってました。
でも実際は逆かもしれません。
今回はとある欧米の方(Aさん)との会話ででたもの(多少脚色してます)。
Aさん「今度とある社会系のテーマのイベントがあるので行きませんか?」
私「んー、そのイベントはちょっと興味ないですね。私の興味は海外、宇宙、科学技術、海等なので興味ある分野であれば行きますよ。」
Aさん「日本ではこういった社会的なボランティアをお誘いしても断られるようなので今度からお誘いするのやめようかと思います。」
私「???、いやいや興味がたまたま違うだけですから、興味があえば行きますよ。」
Aさん「こういった社会的なボランティアは欧米であればもっとみんな積極的に参加するのに、日本では断る人が本当多いです。」
私「!!!」
私Aさんとは仲良しなのでその後もいろいろ話しましたが、根本的にかなり根深い文化の違いがあることに今まで気がついていませんでした。
Aさん曰く、キリスト教圏では教会に行くといことは寄付とボランティアがセットになっているとのこと。
普通クリスチャンであれば毎週日曜日には教会には行くので週一の頻度では
そういったのに自然と触れているってこと。
また元々人々の考えは異なるから何かの問題があれば国が対応するのは難しいので自分たちで解決する必要があり、それを皆で協力して解決する必要がある。
だからボランティアには普通は肯定的なんだとのこと。
私自身NPOやボランティアは大学の頃から触れていたのでどちらかといえばボランティアに肯定的だと思っていましたが、どうやら欧米の方の感覚からすると全くそうではないようでした。
日本だとまあお付き合いでとか興味があればボランティアをすることがあっても仕事をしつつ日常的に社会のためにボランティアをしている人は少ないと思います。
つまり社会や全体のためよりも個人としての時間や嗜好が優先される個人主義なのかもしれません。
それに対して欧米では日常的に社会のためのボランティアはおこなうべきであるという文化が根付いており、多くの人は仕事をしつつ社会のためのボラティアもおこなっているとのことです。
つまり個人の時間やお金を社会や全体のためにも多くの費やすという意味では全体主義なのかもしれません。
よく欧米化すると個人主義の弊害が生じるから〜とか聞くことがありますが、全くの誤解かもしれません。
本当は個人主義なのは日本の方なのかもしれません。
今回の一件では本当に考えさせられました。
はじめまして。
>Aさん「こういった社会的なボランティアは欧米であればもっとみんな積極的に参加するのに、日本では断る人が本当多いです。」
社会的なボランティアがその会社や人のイデオロギー的な要素や政治的な要素に直結するからではないでしょうか?
日本人はそういう要素を煙たがりますよね。
と言う事は、あまり個人主義とは言えないような・・・
欧米ではキリスト教にすがって生きてる人も多いと思いますが、そのすがってる代償としての社会的活動、結局は利己主義?とも見ることが出来るようにも思います。
利己主義と個人主義は似たもの同士ですので、やはり欧米人は個人主義なのかな?と・・・
失礼しました。
日本人と外人の良いところさん
コメントありがとうございます。私の知る限り日本と中国の方々ではイデオロギーや宗教に対する拒否感がそれなりに強いイメージがありますので、コメントくださった意見について理解できます。
ただ社会的活動を利己主義?とみるところは?でした。
社会的な活動はどこまでいっても利他主義によるのかなと私は考えてまして、逆に社会的活動、つまり他人のために活動しないことを利己主義と思い書かせていただきました。
いろいろ参考になります。ありがとうございます。